米原万里を考える。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。タカさんです。このブログではとことん、ロシア語通訳・翻訳、エッセイスト・作家・小説家であった 米原万里さんについて考えます。

なぜ『米原万里』?

どうもどうも!

 

今回これが初めての記事になるのですが、まあなんとも初めから書きたいことがたくさんあるタイトルを選んでしまって、自分でも

「初めの記事から濃いものを書こうとしている自分、エライ!」

(実際に口に出しました。)

 

と言っているタカさんです。

 

私のことも少しずつかまたは適当に紹介していこうと思っています。というのもこのブログのメインはタイトル通り『米原万里さん』ということなので、私についてあまり教えられてもまーねーという感じだと思うんです笑。

 

でも軽く紹介しておくと、

私は現在北海道に住んでいる大学4年生で、「就職活動」とかなんとかいう社会が勝手に作り上げた息苦しい風習の中で、周りとは逆のことしてやろうじゃないかと親からの強制的な「アドバイス」をただ「黙って聞く」ことをしている日々を過ごしています。

そしてこんな生活の中で唯一の救いの手といえばもう断然、読書読書読書 です。

本当に朝起きた瞬間から夜眠りに落ちるまで本を読んでいられます。

英語にすると。。。I can literally read books as soon as I wake up in the morning until right before I go to sleep at night. といったところでしょうか。(なぜだか英語にした方が まじで!!感 が出る気がします。なので別にアメリカかぶれとかそうゆうのではなくただ純粋にそう思うんです。ちなみに私はイギリスが好きです。しかしながら別に英語主義というわけでもなく、どちらかというと英語が国際語になっていることに少し違和感を感じていたりしますが、実は私、言語オタクなのでただそう勝手に思っているだけだろうなーという会話を頭の中でよくしています。というのも僕にとって言語に優劣はなく全て素晴らしいと考えているからです。)

 

まあそんな私です。

 

そろそろ本題に入ろうかと思います。

 

 

 

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なぜ米原万里なのか・・・?

 

 

おそらく一つの大きな理由としては、子供時代に過ごしていた環境が似ているからでしょう。

 

彼女は日本で生まれその後、父親の都合でプラハに行くことになります。

そこでは日本の学校生活とはかけ離れた光景が広がっていました。そしてその後帰国し、日本の中学校の作り出す環境、教育方法、日本人が持つ特徴にショックを受けます。(この内容はまたおいおい書くことにします。なにせ書き始めると止まらないたちなので。)そして大学院を卒業後、ロシア語通訳者になり世界を飛び回ることになりました。そこでも日本以外の空気をたくさん吸い込み、名作を残しました。

 

大まかに説明をするとこうなります。

 

子供の頃に日本から出て外の空気を吸って帰国したら、あまりにも日本で息をするには苦しかった。

 

というところでしょうか。

 

私の子供時代といえば、まず初めが少し違うのですが経験したものはあまり変わりません。

 

まず生まれた場所がフランスにあるパリ市。

そうですあの日本人がよく憧れる町「パリ」なのです。

そこから2年か3年過ごしたのち帰国。しかし私が中学生になりたてほやほやの中学一年生の夏休みに父の仕事の都合でドイツのハンブルグへ行き2年間過ごしました。

初めの1年は日本人学校、最後の1年はインターナショナルスクールでして、インターについてはよく毎日学校に通って入られたなと思う今日この頃です。(これについてもおいおい書いていきます。)そして帰国後は神奈川県横浜市にある中学校、高校に通い「いろいろな経験」をした後、大学のため、現在は北海道に住んでいるのです。

これも大まかにまとめると・・・

 

日本の外に出て深呼吸をして生きていたのに、日本に帰ってきたらなんだかむせてるようになってしまった。

 

という感じでしょうか。

 

なので共通点といえば日本以外の国の生活にどっぷり浸かって帰ってきたときに自分と周りの差が良くも悪くもはっきりと見えてしまっているということです。

 

万里さん(米原万里さんですがこれからは親しみを込めてこう呼ばせていただきます。おそらく実際にこう呼んだら怒られるのかな・・・あったことないからわからないけれど・・・。もしそうであれば先に言います。ごめんなさい。)はそういうはっきり見えてしまった『差』を文章を通して世の中に広めました。

 

彼女のエッセーはまず、「ある概念」を裏付けるための「例」から入って、深く掘り下げていく。

この深さは章の最初の段落と比べると最後の一文を読む頃には別の本を読んでいたのではないかと錯覚してしまうほどはっきりと色が分かれているのだけれども、目がキラキラしてしまうほど共通点がある。実に面白い。

 

とはいえどもこの軽快かつ明晰な「例」と、底知らずかつ核心をついている彼女の「概念」は、万里さん自身が持つエゴイズムに沿って展開されているわけではなくて、

適当な質と量の調整、あとは限度を保ったもの担っていて、

「人」っていう漢字のような構造をしています。

 

二つの棒の長さはそれぞれ違うけれど、どちらも短長また微妙な角度が決まっていて、それらを少しでも誤ってしまうと意味が変わってしまうというような感じ。

 

だから彼女の筋が通っている明快な文章たちは何度味わってもたまらず新鮮で、全く飽きることがなくて、文章を追っているときに自然と「ウンウン」って頭を縦に振ってしまうスパイスの効いた「クセ」があるのです。

そして私のような読者は虜になってしまうということです。

 

少し書評っぽいこと書いてみました。

 

 

まあこうゆうことなので、これから万里さんが残した名作についてこのブログでは考えてみたいと思います。

 

これから宜しくお願いします。

 

www.yoneharamari.jp

 

タカさんでした。